2013年11月29日金曜日

【DevLOVE Advent Calendar 2013】現場は続くよどこまでも (I've been working on the Sourcecode)


DevLOVE Advent Calendarの18 20日目の記事です



以前、働いていた職場で、次のように言われたことがあります。

「仕事のことは現場にいる間だけ考えていればよい。こちらが必要だと思ったことは研修やOJTで教えるから、あなたは勝手に本を買って学ぶ必要もない。それに、こちらが指示していないことはやらなくてよい。家に帰ったら仕事のことは一切考えなくていいし、考えるべきではない」

当時の私は、仕事が終わった後に勉強会やイベント、あるいは書籍を読むなどして学び、それを現場に活かすべく行動していました(今でもそうです)。

上記の言葉は、そのことを知っている当時の上司が私にかけたもので、仕事場にいる時間以外は仕事と関係ないという考え方です。

このことについて書いていきます。



線路は続くよ

突然ですが、『線路は続くよどこまでも』という有名な曲があります。皆様も小学校の頃に歌ったことがあるのではないでしょうか。歌詞は次のようになっています。

線路は続くよ

    線路は続くよ どこまでも
    野をこえ 山こえ 谷こえて
    はるかな町まで ぼくたちの
    たのしい旅の夢 つないでる

非常に前向きで明るい歌詞ですね。

でもこれは原曲の歌詞とは全く異なるのです。



仕事は続くよ

『線路は続くよどこまでも』の原曲の歌詞は次のようになります。

I've Been Working on the Railroad
俺は線路で働いている 

    I've been working on the railroad
    All the livelong day
    I've been working on the railroad
    Just to pass the time away

    俺は線路で働いている
    まる一日中だ
    俺は線路で働いている
    あっという間に時間が過ぎてゆく
※『線路は続くよどこまでも - Wikipedia』から引用

『俺は線路で働いている』… これは驚きです。我々が歌っていたものとは真逆の歌詞になっています。続いているのは線路ではなくて仕事だし、後ろ向きで暗くなるような歌詞です。



この違いは何?

実は、最初の歌詞は、この曲がみんなのうたで使われる際に新規に作られた歌詞なのです。みんなのうたは子供向けの番組なので、原曲の歌詞が持っているブラックな要素は使いにくかったのかもしれません。だから、線路というキーワードだけ残し、後は別のものに置き換えたのかもしれません。

また、歌詞を読み直してみると… どちらも線路について書いてあるのは同じなのですが、その目線が違う感じがしませんか? みんなのうたの歌詞は線路を"使うこと"の楽しさを描いていて、原曲の歌詞は線路を"作ること"の辛さが描いてあるのです。

個人的には、みんなのうたの歌詞は乗客の観点から書いたもので、原曲の歌詞は作業者の観点から書いたものなのかなあ、と思いってます。



現場につなげる

物事には、様々な側面があります。2つの『線路は続くよどこまでも』もそうです。利用者なのか、作成者なのか、それだけでここまで表現やメッセージが違ってくるのです。

現場という言葉が何を指すのかも同じだと思います。

私は、『現場以外で仕事のことを考えるな』と言われたときに、よく意味が分かりませんでした。「そんなことやっていたら、仕事できるわけないじゃないですか」と思ったからです。物事を『仕事かそうでないか』という側面だけで捉えることが果たして可能なのでしょうか? 仕事が、その仕事場だけで完結するなんてことが果たしてありえるのでしょうか?

私はありえないと思います。

それは、『仕事に必要な知識が全て、その仕事や現場の中に含まれているとは限らない』からです。



仕事に必要な知識の全てが、現場にあるとは限らない

目の前の現場にある仕事のやり方が完璧であることは(ほとんど)ありません。大体の場合、うまくいっていないところや危なかっしいところ、それなりだけどもっと良くできるところがあります。

それらは、気が付くことと、改善案の実現能力さえあれば、改善することができますが… 実際に良くするためには、現場のやり方・ものの見方だけでは足りない場合がほとんどです(現場にあるやり方・ものの見方で改善できるのであれば、とっくに改善されています)。

また、今あるものが完璧ではないことに気づくスキルも必要になります。別の観点から見てみたり、もっと優れたやり方と比較してみたり、そういうことをして初めてわかる課題や改善点もあるのです。

だから、現場以外での学びが必要になるのです。



現場は続くよ

一方で、座学や勉強会で知識を獲得することは、実践で学ぶことに比べると、軽視される傾向があります。「理論は実践と違う」「現場では使い物にならない」「それはうちのやり方には合わない」、あるいは『現場以外で仕事のことを考えるな』など… いろいろな言い方がありますが、現場と明確に区別して、その意義を否定されることもあると思います。

でも本当にそうなのかだろうかと思います。『実践でどう使うか』を念頭に学び、時間を費やし、学びを現場に持ち込むことができたのであれば、それは現場に交わりあって続いていく有意義な時間なのではないかと思います。

あるいは日常生活だってそうなのかもしれません。ふとした瞬間に課題の解決策を思いついたり、他愛のない雑談の中に鋭いヒントが混ざっていたり、たまたま読んだ本に答えが書いてあったり… 日々の生活の中から、仕事に結びつくようなアイデアを見つけることもあると思います。であれば、それはつまり『現場はどこまでも続いている』ということなのではないでしょうか? だとしたら、現場・仕事とそれ以外を明確に区別することに果たして意味はあるのでしょうか?



自己紹介

@mocha_cocoa

モデリングをこよなく愛し(UMTP-L3, Ocup-Advanced)、アジャイルなソフトウェア開発プロセスを好んで使用し(Certified ScrumMaster, Certified Scrum Product Owner)、チームや人に関心がある(Co-Active Coaching Fundamentals)、エンジニアです。




次の人へ


S-Kic(キク)さんですね。いろいろな勉強会でお会いしています!

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