2013年5月27日月曜日

Agile Japan 2013基調講演「柔軟心(にゅうなんしん)と庭園デザインにおけるユーザーエクスペリエンス」

Agile Japan 2013の基調講演「柔軟心(にゅうなんしん)と庭園デザインにおけるユーザーエクスペリエンス」のノートです。



■西河誠氏(Agile Japan 2013実行委員長)による紹介

◆講演趣旨

◇枡野俊明氏について
・庭園デザイナでありながら、本職は禅のお寺の住職
・著作を読んだ
 →そこに書いてあることがソフトウェア開発のヒントになるのでは?と思った
・庭園デザインが禅の考えに基づくとどうなるのか
 →『庭に来た人が感じるものと周りの環境を考えながら、庭に来た人に最高のおもてなしをする

◇ソフトウェアも同じだと思った
・設計図どおりにはいかない
 →その場に行かないとなかなか設計できない

◇Agile Japan 2013の基調講演を依頼した理由
・『庭に来た人が ~ 最高のおもてなしをする』 という考え
 →実はこういった考えは日本の根底にあるのではないか?
 →そしてこれは"ともに創ろう、日本のアジャイル"というAgile Japan 2013のテーマに対する大きなヒントになるのでは?
・今日はどのような聞かせて頂くのか
 →ユーザエクスペリエンスに対して日本人の考えでどうアプローチしていくのか



~~~以下、枡氏の講演

■オープニング

◆はじめに

◇(声を出して挨拶を行う)
・声に出して自らの気持ちを表現する
 →相手も気持ちよくなれるし、自分も気持ちよくなれる
・自分が気持ちよくなりたいと思ったら相手を気持ちよくする
 →そうすると自分が気持ちよくなる
 →→すごく大事なこと

◇自己紹介
・禅と庭園デザインが専門
・多摩美術デザイン大学の環境デザイン学科で教鞭をとっている
・一般書、専門書も執筆している
・国内外を飛び回っている

◇今日の講演について
・講演の依頼ということでお寺に数度来てもらった
・「自分は全くソフトウェアには関係ない」
 →想像はつくけど、その世界に身をおいていないのでどういうことかなかなか分からない
・その中で、Agile Japan 2013のテーマを聞いた
 →「そこで門外漢が話すことにより、何かきっかけが生まれるかもしれない」という思いが湧いた
 →→だからオーケーした



◆「1日為さざるものは1日食らわず」

◇中国の唐の時代の話
・「働かざるもの食うべからず」の元ネタ
 →でも本来そういう意味ではない
・働くことがなすべきことかは別

◇百丈懐海(ひゃくじょうえかい)
1. 80歳を超えても畑で農作業をしていた
2. 弟子達「そんな年なのだから部屋で休んでいて欲しい」
3. 鍬と鋤を隠した
4. 百丈懐海はいたしかたなく部屋に戻る
5. でも昼も夜も食事を食べようとしない
6. 弟子達「どこか具合が悪いんですか?」
7. 百丈懐海「1日なさざるものは1日食らわず。今日1日為そうと思ったことをできなかったから食べないだけ」
8. それを聞いた弟子達は慌て、農具をすぐ出した
9. 百丈懐海は、翌日からは農耕作業を行った

◇これを今の時代の自分に当てはめる
・何か自分の特技、好きなことを通して社会に貢献できないか?
 →デザインは昔から好き
 →→禅とデザインを切り口にいろいろデザインさせてもらっている



◆庭園デザインの仕事について

◇プロジェクトの期間
・1つのプロジェクトが平均3年半
 →短くて2年
 →長いと8年。
・比較的長いスパンでの仕事をやっている。
 →佐渡川神社のプロジェクトは計画4年、現場4年。計8年かかっている
 →都立大学のキャンパス移転は5年半くらい。
 →東京にある在日カナダ大使館の移転は約8年

◇日本庭園
・今の都市にはそぐわない
 →時代遅れと意識が強い
・でも、そこには日本人が1000年以上脈々と築いてきた美意識や価値観がある
 →建築様式や生活様式はどんどん移り変わっていたとしても
 →→その根底にある価値観や美意識(何をもって美しく尊いとするのか)は変わってない



◆自分が考えていること

◇日頃、日本の美しさとはどういうものか考えている
・日本人が得意とする美意識や価値観は何かと考えている
 →それを現代の社会の中でどういかしていくか?ということをやっている
・これを現代の中にどういかして日本の空間を作っていくかというのをやっている
 →そういうものの見方をして活動している
・最初は日本の中だけだと思っていた
 →でも気付いたら、国内外から取材・問い合わせ・面会の依頼が来るようになった

◇20世紀はどういう時代だったか
・ものの豊かさ情報の速さスピードが人々を豊かにすると考えられ信じてきた
 →これを高度化すればみんな豊かになるという意識でやってきた
・しかしモノの豊かさ速さ情報量の多さが確実に人を豊かにしているかというとそうではない
 →生活のなかに常に追われている
 →次から次へ執着心が沸いてくる
・それが現実

◇21世紀にクローズアップされているもの
・精神的・心の豊かさ
 →日本だけでなく海外も目を向けている
・もともと日本ではどうだったか
 →モノの豊かさ、物理的なモノの美しさだけではない
 →その奥に潜む心の部分(精神性)を大事にしてきた

◇禅も同じ
・禅の目指すところ
 →本来の自分、自分の中にいる一点の汚れもないような心(仏性)
 →人間の秤を超えたような真実
・考え方は限りなく哲学
 →でも禅は哲学とは言わない
 →→論理を証明して学術的にやるのが哲学で
 →→禅はそれを日々の生活の中で実践する(業)だから

◇今日の講演に内容について
・自分がやっているデザインの手法、姿勢について話す
 →ソフトウェア開発をやっている人の参考になるのでは?と思っている



■庭園デザインについて

◆敷地

◇庭園をデザインするとき、どういうことをしていくのか
・発注者(クライアント)がいる
 →どういうものを作りたいかどういう内容を希望しているかをヒアリングする
 →みなさんと同じようなことをやっている
・クライアントの言葉に表れてこない部分がある
 →奥に潜んでいる部分が必ずある
 →それをどうやって引き出すか
・骨格となる言葉の背後に期待しているものがある
 →そこに付加されていくべき価値というものが必ず潜んでいる
 →それは形として出てくるものではない

◇庭園には敷地というものが必ずある
・「この敷地にはこういう施設を作りたい」
 →床面積
 →こういう使い方
 →こういう部屋
・どうデザインするか
 →当然見に行く
・その敷地が私に何を訴えているか
 →自分で納得するまでその敷地に通う
 →→"地心"を知る

◇西洋の発想では
・コンセプトを作り上げる
 →自分の考え・設計概念・理念
・それに合わせて大地を変えていく
 →だからまず大地を造成してしまう
・そしてその中で自分が設計したものを形にしていく

◇日本人の発想では
・元々大地が持っている心(possibility)を知る
 →いかにそこに命を吹き込んでいくか
・斜面地ならその斜面をどう最大限に生かしてあげるか
 →そこに流れる風
 →朝から夕方の光の変化
 →→それがどういう影を落とすか
 →→人をどういう気持ちにするのか
 →木があるなら、そこに来る鳥の声を施設に取り込めるように
・環境、大地の声を限りなく聞き取る
 →そこから始まる



◆地心と発注者の希望をどうすり合わせるのか

◇それぞれ頭の中にいれて自分のデザイン哲学でフィルタする
・そうやって何をしていくかを考える

◇「こういうものをつくろう」というのがあったとする
・どういう人が使うか
 →都市の人が週末に来る場所なら…
 →都市的なデザインにしたってしょうがない
 →→→どうやって人を包んであげるか
 →→→日頃背負っている自分自身の荷物を肩から降ろしてもらうか
 →→→どういう気持ちにさせないといけないか
 →→→どういう時間をそこで費やして帰ることが一番尊いことになるのか
・そういうことを考える

◇そうやるとだんだん空間や形が見えてくる
・何かを跨ぐと気持ちが変わる
 →それをどうデザインに取り入れるか
・見える景色を最大のご馳走にする
 →そのためにまず閉じた空間を作る
 →→手前は足元だけの景色
 →そこを抜けると天上が一気に高くなって景色を一望できるようにする
 →→「そうすると人の気持ちはドラマチックに変わるのではないか?」
 →→「そうすることで、引きずってきた仕事の荷物を降ろすことが出来るのではないか?」
・そういうことを考えてやっていく
 →そうすることでだんだん形が見えてくる

◇とうぜん紙の上でも仕事をやる
・基本概念の構築など
 →コンセプショナルワーキングなど
 →→その中で敷地や図面を見ながら条件(長所や短所)を書き込んでいく
・でもそこには現れてこないことがたくさんある
 →現場にいかないと分からないことがたくさんある

◇ソフトウェアも同じ
・クライアントから提示される条件だけものを考えると…
 →その中で凝り固まってしまう
 →それに執着してしまう
・もっと自由に
 →柔軟心

◇心を留めない
・できるだけ多くの可能性に気付いて取り込んでいく
 →そういう姿勢が大事
・そういうものを経て設計図ができあがっていく



◆工事

◇地割
・敷地の中をどう使うか決める
 →「建物はこの位置、庭はここ」
・計画に基づいて位置を出す
 →西洋「設計図はこうだからこのまま行こう」
 →私達「これは違うんじゃないか」
・大地に立つ
 →1回落としてみて、大地に立って考える
 →→「これは違うんじゃないか?」
 →→「こう動かしたほうが、初めに描いたコンセプトが明確になるのではないか?」
 →→「向こうの景色を考えると、もっとここを低く抑えないといけないのでは?」
・現場に立つとそういうものが見えてくる

◇現場で良くなるように変えていく
・「こうする」「こうしなければならない」ではない
 →条件に基づいてどんどん良い方に変えていく
・固定するのではなくて変えていくのが仕事
 →でも基本の考えよりどころは変えない
 →→さらに良い方向を発見したらその方向にどんどん変えていく
・でも予算という制約がある
 →それはプラスマイナス0になるよう努力する

◇敷地の形(使い方)が決まったら…
・今度は石を組む
 →その場でいきなり組んだりはしない
・どこか別の場所で仮石組み
 →ちょっと意味は違うけどモックアップのようなもの
・同じ条件の地形を作って石を組んでいく

◇石は建築材料とは違う
・全部自然のもの
 →いろんな形・表情がある(石心)
 →それを最大限引き出してあげるにはどうすればいいかを考える

◇仮石組みを通して石の(組みあがる)形が見えてくる
・石は自然のもの
 →同じ寸法でも一つ一つ違う
・だから現場で考える
 →その特性をもっと活かせる場所があれば瞬間に変える
・石心(石の特性)を最大限に引き出す方法をその場・瞬間で考える
 →ここに物凄い能力が問われる
・クレーンやワイヤーで吊ったとき、今まで見えていなかった裏側が見える
 →もの凄く良いところを見つけたら、その瞬間にすぐ使い方を変える

◇人に頼ったらだめ
・自分の中の美意識や価値観だけ

◇変えるときには3手先や5手先を読む
・囲碁や将棋と同じ
 →「ここをこうすると、こうなって… ここで収まるだろう」
 →そういう判断を一瞬でやっていく

◇仮石組みをやると理想的な石組みができるのだが…
・一般的にはそうはやらない
 →最初にコンクリートの躯体を打つ
 →その中で石を組む
・「こうしたらいいのに」と思ってもできない
 →それはコンクリートの躯体が先にあるから
 →躯体に合わせるべく石を切るというのは大変なコストがかかる

◇使う人に一番喜んでもらえるようにする
・芸術としての空間作りなので妥協は駄目
 →特性や効果を最大限引き出したい
・だから仮石組みをやって確認する
 →仮石組みした上で、現場での施工図を作って施工する
 →そうすれば収まる

◇材料を見るたびに見定める
・丸太橋にいって丸太を選ぶ
 →「この丸太はあの茶室のあそこに…」
 →「このへこみがなかなかいい。味がある。これを床の間に向けて…」
・それを使って大工さんに(仮組み)してもらう
 →「もうちょっと引っ込めたほうが見え方としていい」
 →「もうちょっと細い方がこの材料・空間には会う」
・これはもう感覚の世界
 →関東では通じない
 →→「太いのがいい。かっちりしているのがいい」
 →なかなか京都でやるようにはいかない
・庭でも同じ
 →「風がそよぐと揺れる枝がある。これで風を感じることができる」
 →→京都では通じる
 →→関東では…
 →→→「邪魔。切らないと手入れしたように見れない」

◇仮組みをすること = 妥協を許さないこと
・ソフトウェアなら「それがユーザの要望に充分応えられているか」を確認すること
 →ユーザの欲しいところに手が届いているか
 →ユーザの(今の)目には届いていないところに届いているか
・相手が期待している以上のところの細かいところに手が届いている
 →これは物凄い評価が上がる
 →→それがいろいろな面で次の仕事にも結びついていく

◇これはUXと結びついていると思う
・同じ機能であっても作り方は全く違うはず
 →お年寄りの場合は?
 →大人の場合は?
 →子どもの場合は?

◇それぞれ携わる人の価値観が加わってくることになる
・色が出てくる
 →その人しか出せない色
・そういうものはどんどん取り入れていったほうがよいと思う



■禅

◆禅は簡素の美

◇枯山水
・どんどんそぎ落とす
 →それ以上そぎ落とすと意図が伝わらないというところまで
 →→そういうことを大事にする
・持ったときの感触
 →言葉にできないものをできるだけ大事にする
・これが禅の発想

◇スティーブ・ジョブズ
・禅に傾倒していた
 →「仕事を通してどう自分の生き様を作り上げていくか」
・iPhoneもそう
 →ムダなものを取り除いている
 →→だから使いやすい
・でも日本のものではないので…
 →重い
 →大きい
 →無骨
・「これだけは残しておきたい」というものだけが残っている
 →肌触り
 →使い勝手
 →→そういうもの以外は取り除くという発想
・スタンフォード大学での講演
 →「毎日、鏡の前に立って問いかけている。『もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることは私の本当にやりたいことなのだろうか?』それに対する答えが『いいえ』で、そういう日が何日も続くと、私は何かを変える必要があるのだと悟る」
・まさにこの瞬間を生きるという禅の行き方
 →いつお迎えが来るか分からない
 →→だから今を全力で生きる
 →彼が禅で会得した生き方
・そういうことが、appleの発展の大きなよりどころになったのではないか?と思う

◇執着心
・ものごとを「こうやってやろう」と思うと、そこに気持ちがとらわれて身動きがとれなくなる



◆沢庵禅師

◇江戸時代の人
・柳生宗矩と関係が深い
 →宗矩は剣術を武道にまで昇華した人
 →柳生一門はずっと剣術をやってきた
 →→そもそもは技術の人だということ
 →→→そんな宗矩に大きな影響を与えたのが沢庵禅師

◇柳生宗矩「剣の道を究めていく極意を教えて欲しい」
・囚われない
 →相手の小手を打とうと思うと自分の心が相手の小手に縛られてしまう
 →→他に隙が出来てもそこが見えなくなってしまう
・「ここを攻めよう」というところを持たない
 →留めない
 →→そうすれば一瞬生まれた隙が見える
・すぐそこで対処すれば必ず負けることはない
 →それから柳生宗矩はゆっくりと動くようになった

◇沢庵禅師「宗矩、この雨にぬれない極意を見せてくれ」
・宗矩は表に出て行って雨を滅多切りにする
 →しばらくやって戻ってくる
 →→沢庵「なんだ。ずぶ濡れじゃないか」
 →→→宗矩「じゃあ和尚、濡れない方法があるなら見せてくれ」
・今度は沢庵が表に出る
 →手を空に上げてただ立っているだけ
 →→当然ずぶぬれ
 →→→宗矩「何だ。和尚もずぶ濡れじゃないか。それが極意か?」
 →→→→沢庵「そうだ。おぬしは雨と対立して濡れまいとした。そこに対立する姿勢があった。私は雨と1枚になった。雨と1つになっているから私は濡れているのではない。雨そのものになったのだ

◇こうやって剣術が禅と結びついていった
・剣という技術を通して生き様を極めるやり方ができた
 →現代の剣道にも通じている
 →→剣術を通して生き様を極める
・柔道や茶道も同じ
 →禅と結びついて道になった

◇何かをやろうとしたとき
・頭の中に計画があっても良い
 →でもそれに縛られるのではない
・「どうやったらそのものと1つになれるか」を考える
 →そうやってフレキシブルにやる
 →これを極めたら日本のソフトウェア開発が生まれてくるかもしれない



■日本と外国

◆外国と比べた日本の特徴

◇ドイツ
・骨太
・理屈っぽい
・譲らない
・機能だけでいったらすごい

◇北米
・コンセプトは物凄い
 →ある意味日本人を超えている
・でも誤差や精度は劣っている
 →実際にモノに落とすとき、言っていることと書いている絵は全然違う

◇アジア
・日本と同じくらい精度が高いものを作るのではないか
 →でも全然違う

◇日本人
・器用
 →緻密にきれいな仕事をする
・他の国にはない特徴



◆世界といろいろな意味で競争するにあたって

◇みなさんがやっている仕事と私がやっている仕事
・いろんな面で共通性がある
 →意外と繋がっているところがたくさんある
 →→それをどういう風に生かしていけばいいか

◇日本はどうすればよいか
・海外と同じことをやる
 →これだとなかなか勝ち目がない
・海外の人達と全く違う視点でやる
 →ものを作っていく
 →姿勢を作っていく
 →→そこに日本人が一番得意とするところがある

◇品質を常に高めていくという日本の器用さ
 →これをどう仕事の中に生かしていくか

◇ガラパゴス化
・多機能で使いこなせないソフトウェア
 →これは避けないといけない

◇ソフトウェアエンジニアリング道
・おもてなしや気遣い
・開発者には技術がある
 →その技術をとおして自らの生き様を築く
 →→それは立派な道になる
・そういうことがなされていくと…
 →ソフトウェアを通して仕事の上でのビジネス価値も上げていくことができる
 →ユーザの満足度もあがっていく



■クロージング

◆最後に

◇"これでいい"というのはない
・禅もそう
 →修行がこれでおしまいというのはない
・常に先がある
 →常に先があるからこそ毎日努力していく
・禅にはそういう姿勢や考え方がある

◇禅では整った均整を嫌う
・均整には終わりがある
 →完全には終わりがある
・不完全には無限の可能性がある
 →禅では均整を必ず打ち壊す
・ヨーロッパの美
 →完全なる美を求める
・日本の禅の美
 →完全を越えた不完全の美

◇完全というものには人間性や精神性が張り込む余地がない
・それを破る
 →そうやって人間性や精神性が入り込む余地を残す
・世代を超えて愛されるということはどういうことか
 →「この作品はあの意図の生き様や人間性そのもの」
 →→そういうものを残していくこと



◆アジャイルについて

◇講演依頼を貰ったときに初めて聞いた
・そして良く考えた

◇アジャイルという言葉は日本的にいくとフラジャイルに近くなるのでは?
・アジャイルは機敏
 →フラジャイルは脆い・履かない
・それは仏教では無常という
 →常にうつろいでいくことが世の中の真実
 →留まっているものはない
・完全でこれで終わりというソフトウェアなどないのではないか
 →常にフラジャイルであること
 →→そうすることで、そこに暮らす人の価値観やニーズに合うのではないか






枡野俊明様, Agile Japan実行委員会の皆様、ありがとうございました。

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