2013年2月17日日曜日

『InfoTalk#51 なぜそれを好きになるか?選考と無意識の実験心理学』ノート


2012/02/15に開催された「InfoTalk#51 なぜそれを好きになるか?選考と無意識の実験心理学」のノートです。ノートPCを持っていなかったので、手書きクオリティのノートになります。



◆選好と無意識

◇人間が意識しているのは氷山の一角
・我々の日常の行動の大半は無意識(automatic)に行われている

◇我々はなぜそれを「好き」だと思うのか
・よくわかっていない

◇オレゴン大学のゴミ袋男
・月水金の11時、クラスの後ろの席でゴミ袋を被った生徒が授業に参加していた
互いに知らない同士の関係の中にこんな人が混ざる
・彼に対して周囲はどう変わっていったか?
 →敵意から始まる
 →→それが好奇心に変わり
 →→→友情が芽生えた
・ゴミ袋男に関する周囲の変化の過程で、何が起こっていたのか?


◆Robert Zajonc. (1968). "Attitudinal effects of mere exposure"

◇単に見るだけで好きな気持ちが芽生えることがあるのでは?

◇実験方法
・漢字を知らないアメリカ人が被験者
 1. 漢字や顔の画像をそれぞれ0 - 25回、2秒間スクリーンに表示する
 2. これを見てもらった後、その漢字がどのくらい良い意味を持つかを推測してもらう
・ポイント
 →アメリカ人は漢字の意味なんか分からないので、提示回数に対しての反応を見ることが出来る

◇実験結果
・提示回数が多い = 評定値が高かった
・わけ分からなくてもたくさん見てると良い評価してもいいかな…となる
 →単純接触効果
・単純接触効果は至る所で応用されている
 →せんとくんもそう
 →→発表当初は地元でも大不評だった
 →→→批判があってもありとあらゆる場所に露出させ、最終的には人気者に



◆matthes. (2007). "more than meets the eye"

◇広告と単純接触効果に関する実験

◇実験方法
 1. 普通の写真の中にブランド名を埋め込む
 2. 被験者にはそのことを伝えずに写真を見てもらう
 3. 「さて、ところで…」ということでブランド名を評価してもらう
・ポイント
 →ブランド名への好感度の変化を見ることができる

◇実験結果
 →mere exposure効果が現れたものとそうでないものがあった
 →→この違いは被験者の特徴で分かれている
・ブランド名が埋め込まれていることに気がついた人達
 →見れば見るほど好感度が下がる
・ブランド名が埋め込まれていることに気がつかない人達
 →見れば見るほど好感度が上がる



◆Kunst-Wilson, Zajonc. (1980). "Affective discrimination of stimuli that cannot be recognized"

◇Zajoncによるさらに衝撃的な研究結果
 ・閾下単純接触効果(Subliminal mere exposure effect)
 →閾下で見たほうが効果が高いのでは?
 ・閾下提示
 →意識に上らないように感覚刺激を提示すること

◇実験方法
・ターゲットとなる画像の露出時間を調整する
 →「今映ったのはABどちらの画像?」という質問の回答比が1:1になるところまで
 1. ターゲット画像をほんの少し見せる
 2. すぐにマスクとなる砂嵐みたいな画像で被せる
・ポイント
 →見えないけど脳には到達しているという状態を作り出している

◇実験結果
 →見えたという認識がない( = 閾下の)状態でも効果があった



◆Ohman & Soares. (1994). "On the automatic nature of phobic fear: Conditioned electrodermal responses to masked fear-relevant stimuli."

◇何を見ているのか分からなくても精神性発汗はある?

◇実験方法
・ヘビ恐怖症やクモ恐怖症の人にヘビやクモの画像を見せると精神性発汗が出る
 →自律神経(交感神経)が反応して発汗する
 →→その人の情動が動いているということ
 1. では、サブリミナル効果によりヘビやクモの画像を見せたらどうなる?

◇実験結果
 →見えてなくても、恐怖症の人特有の精神性発汗が出る
・見えたという認識がなくても自律神経は反応するということ
 →見えるという意識がなくても脳には届いている
 →→そして反応が起こる



◆Shih. (2002). "Stereotype Susceptibility: Identity Salience and Shifts in Quantitative Performance", JPSP

◇サブリミナルによるステレオタイプの活性化 

◇実験方法
・アジア系アメリカ人大学生が被験者
 1. ステレオタイプを活性化する単語をサブリミナル提示
 →Tokyo, Kimono, Chinatownとか
 2. その後に数学のテストを受けてもらう
・ポイント
 →アメリカには「アジア人は数学が得意」というステレオタイプがある

◇実験結果
 →ステレオタイプ語を見せた人の方が数学の成績がよかった
 →→また、ステレオタイプを活性化させたことに気付かかないほうが効果が高かった

◇同じ人の更なる実験
・被験者はアジア系女性
 1. あるグループにはアジア人に関するステレオタイプ語を閾下で提示する
 2. 別のグループには女性に関するステレオタイプ語を閾下で提示する
 3. それぞれテストを行う

◇実験結果
 →アジア人に関するステレオタイプ語を提示されたグループ
 →→数学のテストの点数が上がる
 →→→ただし、他のテストの点数は変わらない
 →女性に関するステレオタイプ語を提示されたグループ
 →→数学のテストの点数が下がる



◆ここで質問が2つ

◇なぜ単純接触しただけで好ましく思うのか?

◇なぜ閾上で接触するより閾下の方が効果があるのか?



◆なぜ単純接触しただけで好ましく思うのか?

◇Bornstein & D'Agostino. (1992). "The Role of Affect in the Mere Exposure Effect"
・認知的流暢性の誤帰属仮説
 →何回も見聞きすると、その対象への認知的処理が(意識下で)流暢になる
 →→処理の流暢性は「好ましい」という(意識上の)感情に誤帰属する
・何かを好きだろうと感じる細胞があるのではないということ?
 →活性化したものに好きだというレッテルを貼っているだけ?

◇AL Alter. (2006). "Predicting short-term stock fluctuations by using processing fluency", PNAS
・ごく短期の株価は認知的流暢性の誤帰属で予測できるという話
 →ティッカーシンボルの発音しやすさと株価の連動に関係がある?という仮説
 →→発音しやすい = 認知的流暢性が高いということ
・IPOなど株価情報がまだ存在しないものについて調査
 →発音しやすい方に投資した方がリターンが多かった
 →→ただし、それは最初だけ
 →→→その銘柄について業績などの情報が出てくると関係がなくなっていく

◇ある対象が認知的に流暢だと…
・以下のようになるという実験結果もある
 →好きになる
 →有名と思える
 →真実と思える
 →知性的と思える
 →よく起こると思える
 →将来に渡って安定していると思える

◇Oppenheimer. (2008). "The secret life of fluency", TICS
・認知的流暢性の誤帰属とは、私達の認識に生じる錯覚の主要因の1つなのではないか

◇Langlois & Roggman. (1990). "Attractive faces are only average"
・普通の人を20人足すとかっこよく(Positiveに)見える顔になる
 →平均的なプロトタイプは処理しやすい
 →→処理しやすいだけ反応が早い
 →→→認知的流暢性が高いということ
 →→→→より好ましくなる

◇実際にはもちろんこれだけではない
→そこに新しさなどが必要になる



◆なぜ閾上で接触するより閾下の方が効果があるのか?

◇感情を司る経路には2種類ある
・閾上のプロセス : High Road
 →扁桃体→視床→感覚皮質→偏等体→身体反応
 →→感情を司るプロセスまで到達してそこから反応が出てくる
・閾下のプロセス : Low Road
 →扁桃体→視床→偏等体→身体反応
 →→『見た』という意識にまでいかないでも反応が出てくる
・意識が出てこない = 余計な考えが出てこない状態
 →単に純粋な感情だけで動く
 →→「欲しいと思うのは、前に見たからだなぁ… 止めておこうか」みたいな反応にならない

◇認知的流暢性は意識しなくても身体にも現れる
・流暢な場合
 →緊張がない
 →→瞳孔が閉じる
・流暢でない場合
 →緊張する
 →→瞳孔が開く

◇好き嫌いの指標と瞳孔を組み合わせるとどうなるか
・好きだという顔に対しては
 →緊張がない
 →→瞳孔が閉じる
・怒っているという顔に対しては
 →緊張が発生
 →→瞳孔が開く



◆まとめ

◇選好判断における閾下過程の重要性
・閾下の刺激が行動や生体反応を変える
 →好き嫌いに対してサブリミナルが与える影響は大きい

◇帰属という仕組みの重要性
・好ましさを判断する中枢があるわけではないのではないか
 →認知的流暢性や生体(情動)反応が、(あるコンテキストの中で)好ましさという判断に帰属されるということ






竹内 龍人様, KOYAMA Hiroshi (pk0612)様、ありがとうございました。

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